くじらのコラム
水産共同組合への感謝状
更新日:2017/07/01
歴史資料室では、太地水産共同組合が保管していた古い資料をお預かりして整理する作業を進めています。組合事務所の屋根裏に、槍の額縁に収められたたくさんの感謝状が残っていました。大正5年(1916)に発足した組合は、その規約の最初に「組合員共同の利益を図ると共に本村経済を援助する」ことを目的に掲げています。このたび見つかった感謝状は、組合から寄付を受けた町内外の様々な団体から贈られたものです。
大正12年(1923)2月と、大正14年(1925)年6月に、組合は太地尋常小学校の建設費として寄付をしており、その総額は17,000円であると記されています。これが現在のどのくらいの金額になるのかを示すことは簡単ではありません。物やサービスの種類によって価諮の上昇率が遣うからです。例えば大正時代の終わり頃には3円ほどだった10キロの米は、今では3,000円ほどですから、単純に値段を比べると千倍になっています。次に東京の某老舗菓子底の羊襲を例にしてみると、大正13年(1924)の値段が1円50銭、今では5,000円ほどですから、三千倍以上です。さらに総理大臣の給与を例にしてみると、大正9年(1920)の月給は1,000円で、今では200万円くらいだそうですから三千倍になります。
大正14年当時の17.000円が現在の価値でどれほどになるかを正確に表現することは困難ですが、当時の総理大臣の年収を大きく上回るほど多額であったことは問遣いありません。組合事務所の屋視裏に眠っていた感謝状の数々は、太地水産共同組合が地域に大きく貢献していたことを知実に物語る資料と言えるでしよう。